♪ Music
2000年3月、職場の同僚とその学生時代の音もだちにより結成。ミニアルバム2枚発表。
2005年8月、ANAホテル主催オヤジ・ロックバンド・コンテストに出演後、解散。
歌を歌うようになったのは、1980年代前半。大学に入ってから。
それまではドラムだった。中3から始めて今でも時々叩くが、一向に上手くならない。
曲を書き始めたのは、大学3年の頃だろうか。オリジナルバンドを始めた途端に社会人になった感じで、若干不完全燃焼だった。
トートツだが、バンド探しのプロセスって、恋愛とソックリなのだ。
(ある人は「セッション・フレンド」のことを「セフレ」って言うし。)
まず上手いこと言って求愛し、集めたら集めたで主導権争いや派閥形成があり、最後には、やれメンバーを引き抜かれただの横取りしただのという揉め事で終わったりして。
TAKSをやる前は、パーマネントなバンドを作りたくて、積極的に他流試合を仕掛けていた。謂わば、合コンやお見合で恋人候補を物色していた、という訳だ。
メン募と言えば、ケータイもネットもない当時、スタジオの掲示板とPlayerという音楽雑誌の読者投稿ページだけが頼りだった。虱潰しに電話をかけても、規則正しい生活から程遠いロッカーは往々にして、全然掴まらない。往復はがきで連絡をという、今ではおよそ考えられないコミュニケーションブレイクダウンもあったな。やっと連絡ついてそれなりにフィーリングが合いそうだと初めて、デモテープを交換したり取り敢えずセッションしようか、となる。
漸くそうなっても、そこからだって紆余曲折いろいろある。
大抵の場合、一回限りのセッションでポシャる。技術レベル、リハの頻度、ロケーション、音楽の嗜好、取り組みの温度差。理由は事欠かない。50ways to leave your lover。それなりに長続きしたバンドはざっと15ほど。中には3年半続いたバンドもあったけど。一回コッキリは倍ぐらいはあるだろうか(数え切れない)。社会人になってからでこんな具合だから、学生時代もトータルで数えると、所属したバンドは25ぐらい、ということになるだろうか。
時期によっては、「二股浮気」状態もあった。また、アマチュアながら、オーディション紛いの「公募」に「応募」して「審査」されたのも1度や2度ではない。
でも、そんな苦労も、楽しかった。別にMではないが。
あるバンドでは、コーラスハーモニーの技術を勉強できた。
あるバンドでは、作曲のヒントを山ほどいただいたり、作詞作曲能力を試すが如き「お題」を毎週のようにぶつけられた。アプローチが全く違う曲作りの方法を目の当たりにもできた。
またあるバンドのリーダーには、聴いている音楽の幅を拡げることがどれほど大切なことか、身をもって教わった。
どんなに短期間であれ、それぞれのバンドと共に歩むことで、自分の音楽性は加速度的に拡張した。それは貴重で刺激的な日々だった。
時には、音楽観やキャリアを否定された気がして凹んだこともあったが、こういった経験抜きには、今の自分はない。それは、紛れもない事実だ。
音楽は、やっぱりいくつになっても止められない。
バンド名の由来は「破竹の勢いの畜生ども」。
2008年10月、蕨の某ロックバーのセッション仲間に声をかけ、活動開始。
2009年より、オリジナルを中心に計6回のギグを敢行。
2013年夏にスタジオ録音を開始し、オーバーダブ、録音素材のPCへの取り込み、イコライジング、エフェクト、ミックスダウン、マスタリングまで全てセルフプロデュース 。
こうして2017年3月に発表されたアルバム ”Hachiku & Other Assorted Love Songs” は、変拍子やエキセントリックな要素満載の、カラフルでグルーヴィでポップな作品だ。