日本人のスポーツ感覚に蹴りを入れる
川淵三郎氏が提唱する「スポーツ文化」とは
時は1992年2月4日。Jリーグが発足する1年半も前のことだ。
「スポーツは、文化である。人生に感動をあたえるものはすべて文化なのだから、スポーツも音楽や演劇と同様『文化』として語られるべきだし、文化として生活のなかに豊かに溶け込むべきだ」
こんな荒唐無稽なことを言い出した男がいた。
後の日本サッカー協会キャプテン、川淵三郎である。(2017年現在、日本サッカー協会最高顧問、日本トップリーグ連携機構代表理事会長、日本バスケットボール協会エグゼクティブアドバイザー等を兼任)
川淵氏は当時、Jリーグ設立準備室長。Jリーグは、確かに「スポーツ文化としてのサッカーの振興」を主旨に掲げ、「フランチャイズ環境(その後「ホームタウン」と言い換えられた)の整備」を謳って設立されたが、当時、日本にスポーツ文化が定着することを予想した人は、ほとんどいなかったんじゃないかと思う。
そんな逆風の中、川淵氏は、変革の必要性を繰り返し強調していた。スポーツに関わる企業のあり方、行政のあり方、メディアのあり方を変えていくこと。また、スポーツを享受する個人として、我々自身の意識を変革すること。まるで、そういった障壁をひとつずつ壊すことが、スポーツ文化の醸成という大きな目標に到達する「最短ルート」だと知っているかのように。川淵氏の眼は、きっと当時から「100年構想」のそのまた先を見ていのだろう。
インタビューを敢行した俺たちだって、その「夢」の実現をどれだけ信じていたのか、今となっては甚だ疑わしい。川淵氏に期待し、最大限の賛辞を惜しまず、Jリーグの成功を精一杯応援することを心に固く誓いはしたが、到底手の届きそうにない目標の前で途方に暮れ、「悲願」に向かって頑張っている自分に酔っているだけではなかったか。
川淵三郎という稀代のリーダーの本質に迫ったこの記事が、読者個々人の意識変革のネタとなるよう、願ってやまない。
原点はヨーロッパにあった
- 川淵さんは3年程前からJリーグを準備なさってきましたが、「スポーツ文化」を定着させたいという構想は、いつ頃からお持ちだったのですか。
[川淵] そもそものきっかけは、32年前にさかのぼります。僕は1960年当時、オリンピック代表選手だったんですが、強化遠征に行ったヨーロッパで、凄いショックを受けたんです。
あれは、ドイツのデュイスブルグという街のスポルト・シューレ(ドイツサッカー協会が作ったスポーツ学校)でした。敷地の中に、芝のサッカー場が7~8面、体育館が2つ、ボート遊びができる池、レストランや宿泊施設、それに医務室まで完備されていたんです。その広大な敷地全体が林の中にあって、みんながのびのびとスポーツをしているんですよ。
僕はその時、「100年たっても、日本じゃこんな環境にならないだろう」と思いました。
と同時に、「もし日本でこれが実現できたら、どんなに素晴らしいだろう」とも思ったんです。
これが理想の姿、僕の夢です。
- 日本には、未だにこういった環境がありませんね。
[川淵] 日本でも、会社の福利厚生施設はかなりいいのがあるんですが、社員向けに、しかもきれいに維持するために、如何に使わせないかということに苦慮している。
そうではなくて、それを地域住民に開放して、会社の延長線上でないチームで、地元の住民と一緒にプレーする。これは、日本人がほとんど体験していないことでしょう。
今度のサッカーのプロ化の大きなねらいの一つは、できるだけ競技施設を完備させて、そこへ来たらサッカーだけでなく、どんなスポーツでも楽しくやれる環境をつくることです。
だからこそ、フランチャイズ制にこだわったわけです。
- フランチャイズ制を採ったときに、観る側の楽しみは、どんなところでしょう。
[川淵] 僕は、観客動員がプロ化の成功にとって一番大切なことだと思っています。では、どういう人が観に来て下さるか。
例えば、JFL(当時の日本サッカーリーグ)のような実業団リーグでは、応援するのは会社周辺の人たちでしかありえないわけです。地域に密着し、地域の人たちに応援してもらう形にならない限り、観客動員にはつながらない。だから、発足5年ぐらいをめどにチームから企業の名前をはずしてもらうということを、Jリーグ参加の条件に掲げて、フランチャイズ制を徹底することにしたんです。
つまり、企業に施設と指導者を提供してもらって、地域のセンターになってもらう、ということなんですよ。
スポーツを楽しむための環境づくりというのは、プレーヤーに対する配慮も勿論ですが、観客に対する配慮も、とても大切なことです。
例えば2時間の試合を観せるなら、それなりの座り心地のいい椅子席を用意するべきだし、トイレや売店も充実しなければいけない。フランチャイズ制に従って、今の競技場のこうした問題も、当然改善されるでしょう。
否定的批判と平均点指向
- しかし30年以上も経って、どうして日本ではスポーツそのものをエンジョイできる環境が実現できないのでしょうか。
[川淵] スポーツは楽しくやるものだと思っていないんでしょうね。
例えば、僕は日本人ほど練習好きはいないと思うんですが(笑)、とにかく四六時中練習ばっかりしている。
これでは、かえってスポーツに対する新鮮さをなくすことになりますよね。
まず指導者に、「楽しくスポーツをする」という発想がないのでしょう。
コーチング法でも、日本人のやり方は「バカヤロー!何やってんだ、こんなこともできないのか」というネガティブ・クリティシズム、つまり否定的批判ですよね。
これに対し外国は、「今のはほんとに良かったね、でももう少しこうしたら、もっと良くなるんじゃないかな」というポジティブ・サポート、つまり積極的支援なんです。
- では、日本人のスポーツ感覚で、何が最も不健全というか、スポーツ文化が育つうえでの弊害になっていると思いますか。
[川淵] 日本人の一番いけないところは、左足で蹴れない選手に、上手な右足よりも下手な左足を練習しなさい、と言うことですよ。
このスポーツの練習は、やはり教育とつながっている。
これは練習ではなくて、忍耐と協調性の訓練だ、なんて言う人もいますけどね(笑)。
- 国民性ということなんでしょうか。
[川淵] そうかもしれませんね。
駄目なところを平均にしよう、というのが日本の教育で、それが国民性につながっているんじゃないですか。
マスコミなんかでも、「こいつはこういうことができない」みたいな記事を書くし、読者もそういう記事を好むでしょう。イヤな人種ですね(笑)。
外国人は、駄目なら駄目でいい、良いところをのばそう、というやりかたですよ。
楽しい右足の練習だから、左足も自然についてくる。
いい点をそのまま伸ばすことは、人間性そのものの肯定につながるんですね。
“平等主義”を超えるコミュニケーション
- 人間性を肯定することは素晴らしいことですが、今の日本の教育は、残念ながらそこが弱いですね。
[川淵] ここで忘れてならないことは、人間の能力は決して平等ではない、ということです。
サッカーだって勉教だって、得意な子もいればそうでない子もいる。
そもそも、誰しもが等しく能力を持っている筈がないんですから。
- しかし教育の現場には、皆が皆同じでなければいけないという、ヘンな平等主義がありますよね。
[川淵] 運動会で一等になったのに賞品をわたさない、順位もつけない、とかね。今の学校では、その不平等さをいわばタブー視していますよね。僕に言わせると、順位をつけない方がある意味でよほど不平等だと思うんだけど。
ただ僕は、例えばサッカーが得意でない子を切り捨てろと言っているんじゃない。
チームの中に下手な子がいたら、そのマイナス面をどうカバーして、いかにチームワークをとっていくか。下手は下手と認めた上で、お互いの立場を理解し、相手をいたわるというコミュニケーションが大切なことだ、と言いたいんです。
サッカーに限らず団体スポーツでは、こうした認識は知らず知らずのうちに培われていくものだと思います。
- それは、学校のクラブ活動の中では、やはり難しいことですね。
[川淵] そのとおりです。
練習のメニューも、50~60人居る部員の真ん中のレベルに合わせてやっているから、上のレベルの人は伸びしろがないし、下のレベルの人も辛いばかりで、どちらにも楽しくない。個人個人の能力と役割に応じて、練習の中身は違ってあたり前のはずです。
平均化と教育的指導だけで楽しいはずがありませんよ。
その上これまでは、サッカーがやりたくても、学校のクラブ活動以外の選択肢がなかった。
- Jリーグでは各チームが下部組職を持つことが義務付けられていますね。
[川淵] 小学校から高校まで、能力に応じて一貫した指導を受けられるようになりましたし、その中で、才能のある子はプロへ進める仕組みをつくりました。つまり学校教育とは違う選択肢がひとつ加わった訳です。
この反応は凄いですよ。
Jリーグ発足までまだ1年以上あるというのに、3部(Jリーグの下部組織、中学生の年代に相当)あたりは希望者が殺到しているらしいんです。それだけニーズがあるんだなと励まされています。
- 平均点主義やヘンな平等主義も、スポーツ文化の成熟という意外な角度から変わっていけるのかもしれませんね。
[川淵] Jリーグが「スポーツを楽しむ環境」を実践することで、そこに蟻の一穴でも開けられたら、と思います。でも口でいくら偉そうなことを言っても、形にならなければ仕方がない。
だから、どうしても成功させますよ。
(1992.3.31 初版 2005.8.20 加筆)